飯塚幸三の無罪批判にちょっと待った!弁護士「無罪を主張することを批判するのは自由の侵害、法治国家の否定だ」 | まいだん

飯塚幸三の無罪批判にちょっと待った!弁護士「無罪を主張することを批判するのは自由の侵害、法治国家の否定だ」

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東京・池袋で2019年4月、飯塚幸三被告がプリウスで暴走運転をし12人が死傷した事故で、10月8日にあった初公判で、飯塚幸三被告は起訴内容を否認したことが話題となっている。

飯塚被告人は「アクセルペダルを踏み続けたことはないと記憶しており、車に何らかの異常が生じて暴走した」と起訴内容を否認。「全く反省していない」「無罪を主張する神経を疑う」といった多くの人が批判的な意見を述べています。

しかし、無罪主張することは「反省していない」ということに直結するのでしょうか?弁護士によると、飯塚被告に対する過剰な批判はやり過ぎだという指摘が上がっています。

弁護士「被告人は裁判で自分の言い分を述べる権利がある」

飯塚幸三被告の無実主張に対して「無罪を主張する神経を疑う」というコメントを見かけます。

重大な事件や事故が起きたとき、誰かを罰したい気持ちは理解できます。ただ、犯罪がおこなわれそれが許されないことと、被告人が刑事裁判で自分の言い分を述べる権利があることは、冷静に分けて考える必要があるというのです。

どのような極悪人であっても、裁判で自己の言い分を述べることは許されなければなりません。「無罪を主張する神経を疑う」という発言は、弁明の機会を剥奪するものにほかならず、ひいては法治国家そのものの否定ともいえます。

無罪主張と反省は両立する

無罪主張と反省は両立します。

特に過失犯の場合には、はっきりとどの行為が問題になるか事件のときは分からないのですから(分かっていたら「故意」犯になります)、反省とより両立し得るのです。

実際、これからの法廷では被告人が「反省している、後悔している」と述べる場面があるかもしれません。だからといって、過失犯において無罪主張が封じられるわけではありません。

判決は被告人の意思とは無関係

弁護士
弁護士

意識しておいてほしいのは、有罪・無罪というもの自体が、実は被告人の意思とは無関係に決まり得るということです。

被告人がある意味での「有罪」を主張したとしても、法的解釈として「無罪」主張を弁護人がすることもあります。

もっとも、被告人が無罪を争うのであれば、弁護人が有罪だということは許されません。

無実を主張する被告を批判するのは間違っている

被告人が無罪を主張することは被告人の自由ですから、そのことを批判するのは間違っていると、弁護士は主張します。

適切に主張させ、法律に則って判断し、その結果有罪と判断されれば罪を償ってもらうと共に、社会としても再発防止を考えるのがこの裁判報道に対するあり方なのではないかと考えます。

引用サイト

みんなの反応

  • 被告人が自説を主張することは確かに自由だけど,それを批判する自由は認めないのか?
  • 「悪いとは思ってないけど反省はした。でも車が勝手に殺したから無罪で。」は流石に横暴すぎ
  • 人を轢き殺した現実から目を逸らして無罪になることしか考えてないじじいの反省なんて一ミリも期待してねーから両立とかぬるいこと言ってないでさっさと法の鉈で真っ二つにしろ
  • 飯塚が極刑とか死刑になるなら、お前らの両親が1~2人を「事故で」死なせても死刑だからな。言っておくがそんな事故、車だけでも日本中で毎日起きてるし、車以外も含めたらもっといるからな
  • 無罪主張と反省は両立するかもしれないが、この件の場合は反省してる様にはとても見えないなあ。
  • 無罪ならそもそも反省なんてしなくていい。有罪確定なのに無罪主張してるから、反省すらしてないことが透けて見えるのがこいつのヤバさ。
  • トヨタに責任なすりつけようとしてる時点で反省要素ないやん
  • この国は一体どうなってんだ
  • 飯塚が自由に主張できるのと同様に、他者にも自由に意見する権利がある批判を許さんとか言論統制したいのかこの弁護士は
  • 無罪主張そのものを否定しているのではなく、この期に及んで無罪を主張するその人間性を批判しているんだよそれとも上級国民様を批判する事は法治国家を否定する事なのか

参考サイト

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