芦田愛菜が語る”信じる”とは…
その人自身を信じているのではなく、自分が理想とする人物像に期待してしまっていることなのかな
だからこそ人は裏切られたとか期待していたのにと言うけれど
それはその人が裏切ったんじゃなくその人の見えなかったところが見えるようになっただけ
その見えなかったところが見えるようになったときに、受け止めれるゆるがない自分がいることが信じられること
みんなの反応
- どうして私が今やっと知れた事を彼女はもう知ってるんだ( °Д° )
- これって子供としての可愛らしさや無邪気さを期待され続けた彼女の心からの言葉なんじゃないかと思いますね
- こういう話をできるのはもちろん凄いことなんだけど、 それを聞いて「言われてみればそうだわ…ふむふむ」ってなる人と、「難しいですね…あっはっは」ってなっちゃう人と、 実はこの違いにかなりの差がある
- 心理学者の河合隼雄先生の著書「大人になることのむずかしさ」で似たようなことが書かれていた気がする。 つまり愛菜ちゃんは大人。
- この時の愛菜ちゃんはとても綺麗に見えました。しっかりと本を読んで自分の考え方を論理的に整理できてる。
- およそ1分の語りの中に、映画1本分ぐらいの感情と、思わず引き込まれる話の展開、そして話し手の魅力が詰まっている…
- 子役時代に凄かった子って大成しないけど芦田愛菜さんは凄い女優さんになりそうだな! 知識は理性を、理性は品正を育てるってこういう事だな
- 人生二周目かよ!! もうぼくなんかとは到底同じ生き物と思えん…なんだこの尊さは…
終わりに
反論のすきのない完璧な持論を展開し、周りの大人たちもタジタジの状態ですね。
可愛い子役から知的な芸能人として活躍の場を広げていくのでしょうか。今後が楽しみですね。